ボールライトニング(英:Ball Lightning、2013年4月21日 - )は、日本の競走馬、乗馬である。主な勝ち鞍は、2015年の京王杯2歳ステークス(GII)。
北海道や九州産ではなく、本州・栃木県産馬として、無敗の2連勝で重賞勝利を達成。3歳春に骨折を発症したが、競走馬リハビリテーションセンターにて約半年間リハビリテーションを行い、競走馬として復帰。それから約2年後、6歳で3勝目を挙げた。
半姉に2008年の小倉2歳ステークス(JpnIII)を制したデグラーティア(父:フジキセキ)。
馬名の意味は、「火の玉」。
経歴
デビュー前
2013年4月21日、GI級優勝馬であるナスノコトブキ、ナスノチグサを生産した栃木県の那須野牧場にて生まれる。
グリーンファームが保有し、1口あたり7.5万円の200口、総額1,500万円という条件にて募集される。募集時のパンフレットには「後躯や肩にみっしりと筋肉がついた馬体は、まさに父ダイワメジャー譲り」や「2歳戦から古馬戦まで、長くお楽しみをいただける競走馬に育ちそう」という売り文句が附されている。
チェスナットファーム、ノーザンファーム空港牧場にて初期馴致、育成を行った。ノーザンファーム空港牧場では、ノーザンファーム生産馬の同世代よりも遅く入厩したが、騎乗育成を始めると、先に進めていた同世代のペースに追いついたという。父であるダイワメジャー由来の前向きさ、集中力の高さを持つゆえに、調教のピッチが上昇し、順調に育成が行われた。2歳となった2015年7月上旬にトレーニングセンターに移る構想も存在したものの、夏の暑さを考慮し自重、トレーニングセンターへの移動は、8月下旬まで延期することとなった。ノーザンファームしがらきで検疫を行った後、9月4日に栗東トレーニングセンター、宮本博調教師のもとに預けられた。入厩後のゲート試験も1回で合格し、デビューに向け、調整が続けられた。
競走馬時代
2歳(2015年 - )
10月12日、京都競馬場の新馬戦(芝1400m)に浜中俊とともに単勝1番人気で出走、好位からほぼ馬なりのままボーサンシーに1馬身2分の1離してデビュー戦で勝利を挙げる。浜中は「しっかりゲートを出てくれる」ことから半姉のデグラーティア(父:フジキセキ)に似ているとし、牡馬のため「いい意味でズブさがある」ことから距離を延ばしても大丈夫であると判断した。
続いて11月7日、京王杯2歳ステークス(GII)に福永祐一が騎乗予定であった。しかし、前週のスワンステークス(GII)にてローブティサージュから落馬、右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折のために京王杯2歳ステークスでの騎乗が不可能となり、代わりに蛯名正義を鞍上に起用し参戦することとなった。単勝オッズ5.7倍の2番人気の評価を受けて発走。逃げるレッドラウダ、キングライオンを前方に見据えた3、4番手の好位を最終第4コーナーに至るまで保ち、第4コーナーの入り口にて逃げるレッドラウダ、内から位置を上げたサイモンゼーレに並びかけた。最後の直線にて並んだその他2頭は後退し先頭に立ち、後方から差し切りを狙ったアドマイヤモラール、1番人気シャドウアプローチの追い上げを封じて勝利。2連勝、重賞初勝利を果たした。栃木県産馬の重賞勝利は1984年のグレード制導入以降で8頭目であり、2008年の小倉2歳ステークス(JpnIII)を制したデグラーティア以来7年ぶりであった。蛯名は、「距離は2000メートルまで大丈夫」と回顧した。
続いて12月20日の朝日杯フューチュリティステークス(GI)で初めてGIに参戦し、単勝オッズ13.8倍の4番人気に推されたが、優勝したリオンディーズから1.4秒離された11着と敗退した。蛯名は行きっぷりが悪く進まなかったとし、明確な敗因を挙げることができなかった。レースから5日後、ノーザンファームしがらきへ放牧へ出された。
3歳(2016年)
ノーザンファームしがらきでの放牧を終えて帰厩し、2月27日のアーリントンカップ(GIII)に、落馬による負傷で京王杯2歳ステークスに騎乗できなかった福永とのコンビを再結成して参戦。単勝オッズ4.9倍の2番人気の支持を受けて出走した。後方9.10番手で進み、追い上げを試みるが伸びず、勝利したレインボーラインから0.2秒離された8着に敗れた。福永は逃げ馬の後ろから好位で進むつもりだったが、先行する馬についていくことができなかったという。
短期放牧をこなし、NHKマイルカップのトライアル競走であるニュージーランドトロフィー(GII)に参戦。宮本は前回、前々回不発に終わった阪神競馬場での出走から、今回の中山競馬場での出走による「コース替わり」に期待していた。鞍上は蛯名に戻り、単勝オッズ9.0倍の5番人気の評価で出走。スタートから中団に位置し、最終第4コーナーでは馬場の外側3.4番手から進出を試みたが、後退し馬群に沈み、勝利したダンツプリウスから1.2秒離された12着に敗退。蛯名によれば、道中の後躯(トモ脚)の落鉄により、バランスを崩し本来の走りを見せることができなかったという。レース後、獣医師の診察を受けたところ、蹄鉄の外れた右後ろ脚(右トモ)は筋肉痛だったが、もう片方の外れていない右前脚の第1指骨剥離骨折が判明し、全治に3か月以上かかる診断を受けた。次走にNHKマイルカップを予定したものの、断念することとなった。4月14日、骨片除去手術に成功し、骨片を取り除いたが、全治に6か月相当であると判明。4月21日、治療のため、福島県いわき市の日本中央競馬会競走馬総合研究所・競走馬リハビリテーションセンター(常磐支所)に移動した。プール調教などリハビリが施されながら約半年過ごし、9月9日に競走馬リハビリテーションセンターを離れた。
ノーザンファームしがらき、厩舎で調整されたのち、11月13日のオーロカップ(OP)で戦線復帰し、勝利したナックビーナスと0.2秒差の5着、続けて12月17日のリゲルステークス(OP)で勝利したマイネルアウラートと0.2秒差の4着となった。
4歳 - 5歳(2017年 - 2018年)
古馬となり、芝やダートのオープン競走、降級して1600万円以下(現:3勝クラス)の競走に参戦。2年間で12戦に出走したが、2着1回、3着2回が目立つ程度で、勝利を挙げることができなかった。
6歳 - 7歳(2019年 - 2020年)
2019年1月27日の京都競馬場の飛鳥ステークス(1600万円以下)に松山弘平を鞍上に据えて出走。7頭立ての6番手から最後の直線に進入し、馬場の内側で粘る馬を差し切り、後続に1馬身4分の1離して久々の勝利を挙げた。再びオープンクラスに昇格。その後、芝のオープン競走、リステッド競走に8戦出走したものの勝利を挙げられなかった。最後の出走は、2020年6月28日、東京競馬場のパラダイスステークス(L)で、田中勝春騎乗で15着であった。
引退後
2020年7月4日付けでJRAの競走馬登録を抹消。馬事公苑(JRA馬事公苑宇都宮事業所)にて乗馬となる。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく。
血統表
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
