大川 章(おおかわ あきら、1957年9月27日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
育英高校から大阪商大へ進学。関西六大学野球リーグで通算57試合に登板し、23勝18敗、199奪三振、防御率2.27。
1979年春季リーグでは8勝をあげて優勝に貢献し、記者クラブ賞(最優秀選手)受賞。ベストナイン2回受賞。
1979年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。
1981年に一軍初登板を果たし、梶間健一に次ぐ貴重な左腕として中継ぎやクローザーとして起用される。
1984年~1986年には先発もこなした。
1988年はイースタンリーグで防御率1位となる1.71を記録。同年オフ、金銭トレードで日本ハムファイターズに移籍する。
1989年は4試合の登板に終わり、同年限りで現役を引退した。その後は、少年野球の指導に携わりながらスポーツデポ相模原店に勤務していた。
2024年からJPアセット証券コーチに就任したが、同年をもって休部になった。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1981年4月7日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、7回裏2死に3番手で救援登板、0/3回無失点
- 初奪三振:1981年4月9日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に谷沢健一から
- 初勝利:1981年10月14日、対広島東洋カープ26回戦(広島市民球場)、5回裏に2番手で救援登板、4回1/3無失点
- 初先発・初先発勝利:1984年6月6日、対阪神タイガース10回戦(阪神甲子園球場)、6回0/3を1失点
- 初セーブ:1984年8月3日、対読売ジャイアンツ18回戦(明治神宮野球場)、9回表1死に2番手で救援登板・完了、2/3回無失点
背番号
- 24(1980年 - 1989年)
脚注
関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 大阪商業大学の人物一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 大川章 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- マスターズリーグ 大川章選手本人によるブログ
- YBC野球塾ホームページ
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