1967年の大洋ホエールズでは、1967年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、三原脩監督の8年目のシーズンである。
概要
前年サンケイと同率の最下位に沈んだチームは打撃陣のテコ入れを図るべく、ディック・スチュアートを獲得。また外野手転向の江尻亮がこの年からレギュラー定着し、また捕手陣では伊藤勲に次ぐ2番手捕手として福嶋久晃が入団し、投手陣も秋山登や島田源太郎に代わるエース候補として平松政次が入団するなど徐々に1960年の初優勝メンバーから別当薫体制への転換がはかられた。この年三原監督・別当ヘッドコーチの2頭体制でスタートしたチームだが、投手陣は高橋重行や稲川誠、この年入団の山下律夫などが健闘するもそれ以外の投手は不調で、チームはサンケイと4位争いを演じた。最終的に1ゲーム差でサンケイを振り切ったものの、この年3連覇の巨人に25ゲーム、2位中日に13ゲームも離されて三原監督は辞任。新監督には別当ヘッドコーチが昇格した。シーズン途中には平松が都市対抗終了後に入団し、すぐにプロ入り初勝利をあげる明るい話題もあった。
チーム成績
レギュラーシーズン
オールスターゲーム
- 取り消し線は出場辞退
できごと
- 5月16日 - 後楽園球場での対巨人戦の1回裏、小野正一投手が「3者連続三振なのに1失点」という珍記録。
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- 先頭打者・柴田勲を三振。これで1死。
- 続く土井正三が2-1から空振り三振、ところが伊藤勲捕手がパスボール、土井は振り逃げで一塁へ生きる。
- 続く王貞治は三振、これで3連続三振ながら2死一塁。
- 次打者・長嶋茂雄への初球を伊藤捕手がパスボール、土井は二塁へ進塁、その後三盗を決めた直後、長嶋は三塁ゴロ。三塁手・桑田武が一塁へ送球したが、一塁手のディック・スチュアートが捕球失敗しエラー、土井が生還して1点。
- 5月18日 - 桑田武が後楽園球場での対巨人8回戦の2回表に5号本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成。
- 6月2日 - 三原脩監督が休養し、ヘッドコーチの別当薫が監督を務めると発表。
- 10月3日 - 三原脩監督が東京の自宅にて、今シーズン限りで退団すると表明。
- 10月4日 - 三原脩監督の退団を認めたと発表。
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
注釈
出典




