田原村(たばらむら)は、千葉県安房郡(長狭郡)にかつて存在した村である。現在の鴨川市の中部に位置している。

地理

現在の鴨川市域を、鴨川市成立時およびその後の合併時の町村によって4地区に区分する場合、「鴨川地区」の一部に位置付けられている。鴨川市域を町村制施行当時の町村(旧町村)によって12地区に区分する場合は「田原地区」とされ、現在の大字では坂東(ばんどう)・押切(おしきり)・池田(いけだ)・京田(きょうでん)・太田学(おだがく)・竹平(たけひら)・川代(かわしろ)・太尾(ふとお)・来秀(らいしゅう)・大里(だいり)および田原西(たばらにし)が含まれる。

歴史

前近代

『和名類聚抄』(和名抄)に記載のある長狭郡田原郷について、当地に比定する説がある。古代の田原郷は、酒井郷の東、加茂郷の西北にあったとされる。

『明治22年千葉県町村分合資料』によれば、池田・京田・太田学・竹平・坂東の5か村は、古くは西打墨と呼ばれ、年代は不明ながら西打墨から田原郷が分村し、田原郷が池田村と改称して、寛永元年に5か村に分割された。『千葉県安房郡誌』が引く『安房国誌』によれば、田原荘に太田学・池田・京田の3か村があったが、寛永元年に池田村が割かれて京田・太田学・竹平・坂東の4か村に分けられたという。

近代

1878年(明治11年)、千葉県に郡区町村編制法が施行されると、のちの田原村域の北部に池田村・押切村・京田村・太田学村・竹平村・坂東村の連合(坂東村外5か村連合戸長役場)、南部に川代村・来秀村・太尾村・大里村の連合(川代村外3か村連合戸長役場)が成立。1884年(明治17年)に戸長役場の管轄変更が行われた際に、10か村が1つの連合にまとまった(坂東村外9か村連合戸長役場)。1887年(明治20年)、坂東村に役場が新築された。

1889年(明治22年)、町村制の施行にともない、10か村がそのまま1つの村となり、田原村が発足。新村名は、かつてこの地域の一部が田原郷と呼ばれ、当時も「田原」という呼称が使われていたことから来ている。

行政区画・自治体沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により池田村、押切村、京田村、太田学村、竹平村、坂東村、川代村、太尾村、来秀村、大里村が合併して長狭郡田原村が発足。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 長狭郡が安房郡に編入。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 鴨川町、西条村、東条村 と合併し、改めて鴨川町を新設。同日田原村廃止。

経済

1888年(明治21年)に記された分合取調文書によれば、住民はおおむね農業で生計を立てていたとある。

1926年(大正15年)の『安房郡誌』によれば、村は純農村で、肥沃な土地は農耕に適するとある。副業としては畜産の発展が挙げている。同書では藁製品の製造や林業にも言及がある。

交通

道路

  • 長狭街道
  • 久留里街道 - 北部をかすめているが、主要部からは直接行けない。

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 千葉県の廃止市町村一覧

外部リンク

  • 千葉県安房郡田原村 (12B0020028) - 歴史的行政区域データセットβ版

「田原駅」の現在の様子 « あつまるタウン田原 田原市の気になる情報を配信

田原市の穴場デートスポット | 田原市観光

旧田原村役場(国登録有形文化財)/高千穂町 日々ブログ MORIMORI @宮崎県

田原市のウォーキングマップで歩く「城の道コース」おすすめポイント紹介 あるっぽ

[4K] Tawaramachi 田原町 [Tokyo 東京] [Walk 散歩] 929 YouTube